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8221 Reply Re:龍馬とティンカーベル 間借り人ヤマ(管理人) Mail URL 2010/02/07 22:10
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ようこそ、ミノさん。

 >高知弁特訓中のミノです。

おー、そりゃあ、まっこと嬉しいぜよ(笑)。

 >「ティンカーベル」拝読いたしました。

ありがとうございます。
いただいたコメントもそのまま採録しちゃってます(礼)。

 >最後、「龍馬」の話題が出てきたところで終わってますね笑

そうですね。つづき、ありますか?(笑)

 >今、ちょうど日曜日のオンエアを見終わった後です。

僕も観ました。

 >「龍馬」の生き方を「ルールの破り方」で見る、というヤマさんの見方を、
 >会う人ごとに話すと、みんなすごく「興味深い」と反応します。

誰しもに思い当たるところのある人生の普遍テーマですもんね。

 >「ルールの守り方」ではなく、「ルールの破り方」は、
 >今年の私のテーマとなっております。

今年どころか、僕なんか生涯ですよ(笑)。

 >ティンカーベルから龍馬へいくところがなんとも豪快がじゃね〜

勉強中とのことですから、補正いたしましょ(笑)。
「ティンカーベルから龍馬へいくち、しょう豪快じゃね〜」かな?(笑)
ともあれ、どうもありがとうございます。
また僕の視点というものへの反応を随所でリサーチして報告いただけるとは
更にとっても嬉しく感じましたよ(礼)。

8220 Reply 龍馬とティンカーベル ミノ 2010/02/07 20:11
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ヤマさん、こんばんわ。


高知弁特訓中のミノです。


「ティンカーベル」拝読いたしました。

最後、「龍馬」の話題が出てきたところで終わってますね笑

今、ちょうど日曜日のオンエアを見終わった後です。

「龍馬」の生き方を「ルールの破り方」で見る、というヤマさんの見方を、会う人ごとに話すと、みんなすごく「興味深い」と反応します。

「ルールの守り方」ではなく、「ルールの破り方」は、今年の私のテーマとなっております。

ティンカーベルから龍馬へいくところがなんとも豪快がじゃね〜

8219 Reply 更新のお知らせです。 間借り人ヤマ(管理人) Mail URL 2010/01/29 23:17
今し方、1/30付けの更新を済ませました。
<日誌・・・ /アバター/ティンカーベルと月の石/あの日、欲望の大地で>
<リンク・・ /マトリックス・リローデッド/シークレット・サンシャインに推薦テクストを追加リンク>
となっています。

『マトリックス・リローデッド』は、Yoshiさん、
『シークレット・サンシャイン』は、お茶屋さん、
から拝借しました。どうもありがとうございました。

8218 Reply Re:『不灯港』 間借り人ヤマ(管理人) Mail URL 2010/01/22 19:18
ようこそ、ムーマさん。

 >ヤマさんの感想、読みました。イヤ〜面白かった〜〜(笑)。

ありがとうございます。

 >お陰さまで、映画の記憶が一層鮮やか!になりました(拍手〜)。

そう言っていただくと、とても嬉しいです。

 >あの「魚の中からオサカナの髪留め」っていう結末については
 >私はヤマさんとは逆に、美津子の「影が差した」というか・・・
 >要するに、そう遠くない将来、また彼女との第2ステージが始まるのかな?
 >なあんて思うことにしました。

そーか、還って来ることの予兆だというわけですね。
なるほど。それはまた、とっても優しい観方ですね。
観方というよりも、願望かと思うほどに(笑)。

 >「思うことにした」っていうのは、あの場面に来て最初に思ったのは(あのお客さん同じく)
 >「ああ、彼女は死んじゃったのか・・・」ってことだったんです。
 >でも、ほんの一瞬で、それはポイ捨てしました(笑)。

そういう経過があったわけですね。
されば、やはり願望かもしれませんね。

 >あの映画全体のトーンにも合わないし
 >何より、美津子サンっていうあの女性のキャラに相応しくない気がして。

ほぅ、どういうところから?

 >私は、彼女が出て行ったのは無理ないなあ
 >(あの人にとっては自然なことなんだろな〜)と思ったので

それは、僕もそうです。

 >何かあって行き所が無くなったら、またふらっと戻ってきそうな気がするの。

そういうふうにも“変われる”ってわけですね(笑)。

 >文無しになったら帰ってきそうなのは、私も彼女も同じというか(笑)。

変わるんじゃなくて“相変わらず”のほうでしたか(笑)。

 >「女はみんな侵入者」なんでしょ?

はい。フィジカルに侵入するのは男でしょうが(笑)、
メンタルに侵入するのは、圧倒的に女性だと僕は思ってます。
それで、バランスが取れているんだろうと思ったりします。
でなければ、フィジカルな侵入形態も逆転してるんじゃないかという気がするわけです。

 >あれで永久にいなくなる(そして平和がやって来る)なんて
 >私には思えなかったんというか。

ふーん。

 >「あくまでコメディー」とでもいうような姿勢(プライド?)が好きなので
 >それに敬意を表したってこともあるかも・・・ですが。

還って来れば、笑い話にもできるってことかな。なるほどね。

 >でも、いろんな解釈のありそうな結末ですよね。
 >観た方がいっぱいいてほしかったな〜なんて。

えぇ、ですから、御覧になっている方はいないかと
呼びかけてみたくもなりますよね〜。

8217 Reply 『不灯港』 ムーマ 2010/01/21 13:51
ヤマさんの感想、読みました。イヤ〜面白かった〜〜(笑)。
お陰さまで、映画の記憶が一層鮮やか!になりました(拍手〜)。

あの「魚の中からオサカナの髪留め」っていう結末については
私はヤマさんとは逆に、美津子の「影が差した」というか・・・
要するに、そう遠くない将来、また彼女との第2ステージが始まるのかな?
なあんて思うことにしました。

「思うことにした」っていうのは、あの場面に来て最初に思ったのは(あのお客さん同じく)
「ああ、彼女は死んじゃったのか・・・」ってことだったんです。
でも、ほんの一瞬で、それはポイ捨てしました(笑)。

あの映画全体のトーンにも合わないし
何より、美津子サンっていうあの女性のキャラに相応しくない気がして。

私は、彼女が出て行ったのは無理ないなあ(あの人にとっては自然なことなんだろな〜)と思ったので
何かあって行き所が無くなったら、またふらっと戻ってきそうな気がするの。

私だったら、あの300万円全部は持って行かないだろう(少しは持って行くかも)けど
あの人は持って行っちゃったけど
文無しになったら帰ってきそうなのは、私も彼女も同じというか(笑)。
「女はみんな侵入者」なんでしょ? 
あれで永久にいなくなる(そして平和がやって来る)なんて
私には思えなかったんというか。
「あくまでコメディー」とでもいうような姿勢(プライド?)が好きなので
それに敬意を表したってこともあるかも・・・ですが。

でも、いろんな解釈のありそうな結末ですよね。
観た方がいっぱいいてほしかったな〜なんて。

8216 Reply Re:はじめまして 間借り人ヤマ(管理人) Mail URL 2010/01/20 13:51
ようこそ、マッコイさん。はじめまして。

 >『綴り字のシーズン』と検索してこちらに辿り着きました。

初めてお訪ねいただいた方には、いつもどういう経路で?
とお伺いするのですが、先に教えていただき、嬉しいです。

 >ヤマさんのおっしゃる「怪作」というのはすごく当てはまっているように思います。

ありがとうございます。

 >あれは本当にハリウッド作品っぽくないですね。

ですよねー。
マッコイさんはヨーロッパ映画がお好きのようですから、
ああいうハリウッド的でない作品は、お気に入りでしょう。
それに、ジュリエット・ビノシュですし(笑)。

 >それにしても素晴らしいサイトですね!
 >また訪問させて頂きます。

ありがとうございます。
『トリコロール/青の愛』も『パリ・テキサス』も
拙日誌を綴っておりますので、御覧になってみてください。
ヨーロッパ映画がお好きなら、拙日誌には、意外とそれは
数多くあるのではないかと思います。

 >私も映画のブログをやっておりますのでもしよろしければいらしてみてください。。。

お伺いしました。アメブロ会員ではないので、
ゲストブックへの投稿はできませんでしたが(笑)。
『パリ・テキサス』を高校時分に御覧になって、先ごろ二十年ぶりに再見されたそうですね。
ということは、三十代後半くらいですかね。
私は、'85年の秋に一度観て以来、再見するに至っておりませんが、
当時、日誌を綴ってあったこともあり、今なお強い印象を残している作品です。

8215 Reply はじめまして マッコイ URL 2010/01/20 00:13
『綴り字のシーズン』と検索してこちらに辿り着きました。
私の大好きな作品なのですが、ヤマさんのおっしゃる「怪作」というのはすごく当てはまっているように思います。あれは本当にハリウッド作品っぽくないですね。

それにしても素晴らしいサイトですね!また訪問させて頂きます。
私も映画のブログをやっておりますのでもしよろしければいらしてみてください。。。

8214 Reply 更新のお知らせです。 間借り人ヤマ(管理人) Mail URL 2010/01/19 21:31
今し方、1/20付けの更新を済ませました。
<日誌・・・ /無頼平野 & 蒸発旅日記/不灯港>
<リンク・・ /レスラー/マン・オン・ワイヤーに推薦テクストを追加リンク>
となっています。

『レスラー』は、ケイケイさん、TAOさん、Fさん、
『マン・オン・ワイヤー』は、TAOさんから拝借しました。
みなさま、どうもありがとうございました。

8213 Reply Re:明けましてお目出とうございます 間借り人ヤマ(管理人) Mail URL 2010/01/17 16:08
ようこそ、南無胡坐・有田さん、あけましておめでとうございます。

 >「誰も守ってくれない」
 >もともと佐藤浩市が好きなのですが、今回のようにわけあり
 >過去に傷を持つ男を演じさせたら絶品ですね

僕も好きな役者さんです。最初に強く惹かれたのは『魚影の群れ』でした。

 >柳葉のペンション主人
 >もともと いい人を演じてても何か圧力を感じ、逆に笑顔が怖かったのですが
 >やはり、ああいう展開になったのかと 人選に拍手といった感じです。

わりとワンパターンな演者ですが(笑)、キャラに嵌ると力出しますね。

 >筋、脚本がいいなと思いました
 >心の線に反応する箇所が多くちりばめてあったように思います。
 >佐々木蔵之介の新聞記者が「殺人者の妹は糾弾されて当然だ!」といった場面と
 >柳葉ペンション主人が「殺人者の身内は泊めるわけには行かない」のところ
 >主人公少女に感情移入し、台詞だけ聞けば何と言う鬼畜発言!とも思うのですが
 >新聞記者には息子がイジメを受け登校拒否、ペンション主人には子供を切り刻まれて殺されたという
 >今度の事件とまったく一緒の被害者の気持ちを共有できる現実があります

観ようによっては、ご指摘の発言への批判を封じるための設えとも言えます。

 >それでも、、、理性で考えれば妹には罪はないのに無理があると傍観者の私は思いました

観客の誰もがそのように冷静だとは限りませんけどね。

 >そうなると、これは何とも人事でない重い、、しかし見応えのある映画だと思い始めました
 >理屈じゃないんですね

自身が問われている部分を感じるようになると、ただの観賞作では留まらなくなりますよね。

 >映画の鑑賞者という第三者視点で見るとそうは思えないことでも
 >立場、状況が変わると同じことが全然別に見えてくる
 >それが面白さであり怖さだなと思いました。

そうですね。嵌まり込んだ作品に対しては、鑑賞者という立ち位置よりも、
作り手に成り代わって、まるで自分が作者であるかのような一体化を示し始める方もいますね。
表現物の持つ力、もたらし得る力というものは、侮れません。

 >それと脚本でもう一つ、気に入ったところ
 >後半 少女たちの隠れ家のペンションをネットの掲示板に密告するものが出ました
 >実は、その犯人は守られてる当の本人の少女
 >理由は刑事を困らせたかったというささやかで幼稚な復讐  とんだ背信行為です
 >でも、、、そのあとで説明される理由を聞いてなるほどねぇ〜と思ったわけです

成る程、それはあるかもしれない、とは僕も思いました。
ある種の脱力とやりきれなさと共に。

 >彼女は母を自殺を防げずにいた警察への怒り、、、しかし
 >その場の担当でない佐藤浩市の刑事には厳密には瑕疵はありません
 >でも当たりやすいから当たった 代表として、、、、一種の甘えとも見えます
 >よく現実でも散見される現象です

というか、刑事個人に対する意識はなかったんでしょうね。
おっしゃるように、警察代表というか、とにかく自分の手の届く範囲で
重大な何かを及ぼせる警察関係というのがそこしかなかったということでしょう。

 >でも同時に展開されているネットイジメ
 >これをセットで判断すると別のものが見えてきます
 >つまりネットでの被害者の少女もまったく同じ行動原理をしている 
 >基本的にネットイジメの攻撃者ってくずだと思っていますが
 >彼らの行動原理は匿名性への安心と攻撃しやすいものへの攻撃
 >当の少女も守ってくれてる刑事は攻撃しやすく、相手からの反撃しにくい立場を見越しての嫌がらせ
 >なんだか人間の本質が垣間見えるようなものに見えました

それは確かにそうなんですが、僕は両者における“当事者性”に大きな隔たりを感じますね。
当事者性が正当性を担保するものだとは思いませんが、許容度は大きく異なってきます。
まぁ、前述の新聞記者の発言にある種の“当事者性”を織り込むことで、
ネットイジメの攻撃者にしても、何らかのものを負っていればこそするのだろうとの立場を
示しているのだと受け取ることも可能なのかもしれませんが、
僕は、そのことが代弁の正当性を担保するものだとは到底思えないので、
ご指摘の両者には大きな隔絶があるとの見解ではあります。
ですから、少女の行動には「匿名性への安心」という卑怯よりも
攻撃を繰り出し続けるために必要な戦略のほうを感じますし、
「攻撃しやすいものへの攻撃」という卑怯ではなく、
あくまで警察という標的をすり替えることなく直撃した行動と受止めました。

 >>それにしても、かつては決してネガティヴなイメージを持っていなかったと思われる
 >>“代弁”や“社会正義”といった言葉をここまで醜悪で品位なきものに貶めたのは
 >>いったい誰なのだろう。…生贄を求める心性が人間にあるのは今に始まったことではなく、
 >>古今東西の人間社会に何らかの形で、文化として地中深く根を張っているものだと思う。
 >>そのうえで、昔は儀式や遊戯として顕在化していたものが、
 >>ヒューマニズムやデモクラシーといった思想を人類が獲得するなかで、
 >>地下に追い遣られ、潜るようになっているのだという気がする。
 >>…競い合って、情け容赦なく生贄の消費と補充を煽り立てるようになっている気がする。
 >>これらが、規制などとは違う形で淘汰される道は、あり得ないものだろうか。
 >素晴らしいですね  ヤマさん  まったく同感です
 >この文章にインスパイアされ書き込みをしたくなったのかもしれません
 >そして、より深く映画を見れました

ありがとうございます。拙日誌を抜書きまでしていただき、恐縮です。
拙文が読んでいただいた方に何らかの触発を与え得たなら、
書き手としてそれに勝る冥利はありませんものね。
そのことを、こうしてお伝えくださることに感謝します(礼)。

 >人間という動物の持つ本能としての攻撃性 それが歪んだ形で
 >大義名分で装飾し堂々と罷り通っている気がします

そうですよねー。ここのところに、現代社会の病んでいる部分が
端的に現われているような気が僕もしています。

 >生贄の消費  一番原始的な形がイジメであり、この問答無用の悪行にも
 >やっている当人たちにとっては それなりの理屈が与えられているわけです
 >それが巧妙になると仕事とか正義に名を借りたパワハラ、バッシングとなるわけです

全く同感です。

 >そもそも正義って何?  真理って何?という境地までひねてきてしまいました
 >結局は攻撃者たちの都合のいいエクスキューズじゃないのかと?
 >極論ですよ もちろん(笑)

標榜された“正義”や“真理”というものは、基本的に疑って係るのが妥当に思いますね。
でも、そもそも論に立ち返った際の“正義”“真理”とは何かということを問う視線は、
“正義”“真理”の在・不在とはまた別問題のような気がします。

 >やはり映画見ていて感じたのは 制限なき攻撃性というものでしょうか、、、
 >少女に寄り添う刑事をトラウマの抱えたキャラ設定にしたのは
 >それだけ痛みを知っているだけ 少女の心情を共有できるとしたかったのかなと思いました
 >攻撃性に躊躇を覚える人物として・・・

そういうことだろうと僕も思います。

 >昨今の世相で嫌なのはアメリカ的、中国的な自己主張の強い国民性になっていることです
 >もちろん、これは外交的に強かになる意味ではいいことでしょう

強いところに向かってもきちんと物が言える傾向は、
国民性的には、むしろ弱まっている気がするのですが(とほ)。

 >やたらとパフォーマンスがうまく相手を攻撃し正義をがなりたてる人物が
 >有能だとか正しいともてはやされるのを見ると、
 >ちょっと違うんじゃないかと思うのです

言ったもん勝ちじゃあないだろうっていうのは、よく思います。
それだと子供の喧嘩レベルで、言論じゃありませんよね。

 >行き着く先は絶えず 攻撃しやすい生贄を求めての
 >自己の正当化という お寒い風土、、、、

会社のなかがこういった空気に支配されがちな風土になると
それはもう堪らない話ですよね。
日本を覆う閉塞感と息苦しさって、ある意味、格差問題以上に
こちらのほうが深刻なのかもしれませんね。

 >様々な事を感じさせてくれた映画でした

それは、とてもよい鑑賞体験でしたね。
そういう時間と出会いたくて僕もスクリーンに向かっているのだという気がしています。

8212 Reply 明けましてお目出とうございます 南無胡坐・有田 2010/01/16 22:23
明けましてお目出とうございます
昨年末は相手していただきありがとうございます
さっそくですが、また理屈をこねたくなる作品に出会い参上いたしました
「誰も守ってくれない」です  もともと佐藤浩市が好きなのですが、今回のようにわけあり 過去に傷を持つ男を演じさせたら絶品ですね
これは父上の三国先生譲り 「飢餓海峡」犬飼多吉を思わせるDNAの賜物だなと。
それにも増してうまいなと思ったのが 柳葉のペンション主人  もともと いい人を演じてても何か圧力を感じ、逆に笑顔が怖かったのですがやはり、ああいう展開になったのかと 人選に拍手といった感じです。
ですが何より 筋、脚本がいいなと思いました  もちろん粗はあるのでしょうが
別に海外で賞を取ったからというわけではありませんが中々 心の線に反応する箇所が多くちりばめてあったように思います。
具体的に述べると   佐々木蔵之介の新聞記者が「殺人者の妹は糾弾されて当然だ!」といった場面と 柳葉ペンション主人が「殺人者の身内は泊めるわけには行かない」のところ
主人公少女に感情移入し、台詞だけ聞けば何と言う鬼畜発言!とも思うのですが 新聞記者には息子がイジメを受け登校拒否、ペンション主人には子供を切り刻まれて殺されたという 今度の事件とまったく一緒の被害者の気持ちを共有できる現実があります
それでも、、、理性で考えれば妹には罪はないのに無理があると傍観者の私は思いました
でも、、、振り返ってみると・・・・私も人生の中で決して許さない人間がいるのですが、、、その家族 末代まで不幸であれと常々願う 自分がいたのです
映画の台詞じゃないですが 背筋も凍るねぇ〜みたいな話ですね(苦笑)  お恥ずかしい
そうなると、これは何とも人事でない重い、、しかし見応えのある映画だと思い始めました   理屈じゃないんですね

以前、映画の見方について論じたとき 各人で見え方が違うといったと思います 万華鏡のように
まさしくこれだなと思いました     映画の鑑賞者という第三者視点で見るとそうは思えないことでも
立場、状況が変わると同じことが全然別に見えてくる    それが面白さであり怖さだなと思いました。

それと脚本でもう一つ、気に入ったところ
後半 少女たちの隠れ家のペンションをネットの掲示板に密告するものが出ました  実は、その犯人は守られてる当の本人の少女
理由は刑事を困らせたかったというささやかで幼稚な復讐  とんだ背信行為です
でも、、、そのあとで説明される理由を聞いてなるほどねぇ〜と思ったわけです
彼女は母を自殺を防げずにいた警察への怒り、、、しかし その場の担当でない佐藤浩市の刑事には厳密には瑕疵はありません
でも当たりやすいから当たった 代表として、、、、一種の甘えとも見えます   よく現実でも散見される現象です
でも同時に展開されているネットイジメ   これをセットで判断すると別のものが見えてきます
つまりネットでの被害者の少女もまったく同じ行動原理をしている 
基本的にネットイジメの攻撃者ってくずだと思っていますが彼らの行動原理は匿名性への安心と攻撃しやすいものへの攻撃
当の少女も守ってくれてる刑事は攻撃しやすく、相手からの反撃しにくい立場を見越しての嫌がらせ
なんだか人間の本質が垣間見えるようなものに見えました

 >それにしても、かつては決してネガティヴなイメージを持っていなかったと思われる“代弁”や“社会正義”といった言葉をここまで醜悪で品位なきものに貶めたのはいったい誰なのだろう。
 生贄を求める心性が人間にあるのは今に始まったことではなく、古今東西の人間社会に何らかの形で、文化として地中深く根を張っているものだと思う。そのうえで、昔は儀式や遊戯として顕在化していたものが、ヒューマニズムやデモクラシーといった思想を人類が獲得するなかで、地下に追い遣られ、潜るようになっているのだという気がする。
競い合って、情け容赦なく生贄の消費と補充を煽り立てるようになっている気がする。これらが、規制などとは違う形で淘汰される道は、あり得ないものだろうか。

素晴らしいですね  ヤマさん  まったく同感です  この文章にインスパイアされ書き込みをしたくなったのかもしれません
そして、より深く映画を見れました
人間という動物の持つ本能としての攻撃性 それが歪んだ形で 大義名分で装飾し堂々と罷り通っている気がします
生贄の消費  一番原始的な形がイジメであり、この問答無用の悪行にも やっている当人たちにとっては それなりの理屈が与えられているわけです    それが巧妙になると仕事とか正義に名を借りたパワハラ、バッシングとなるわけです
私も加齢した分、人間がひねてきましたが そもそも正義って何?  真理って何?という境地までひねてきてしまいました
結局は攻撃者たちの都合のいいエクスキューズじゃないのかと? 極論ですよ もちろん(笑)
古くは魔女狩り、近いとこで赤狩り  文化大革命、、、などなど
私の最近の座右の銘に 「すべては仮説である」というのがあります  コマネチ大学でおなじみの竹内薫先生の提唱されたものです
そうだと思うんですよね  今、真理だと思われているのは、たまたま論破されてないだけのもの
時事ネタで言えば 小沢疑惑に動く検察は本当に正しいのかとか・・・・

話がだいぶ飛びましたが、やはり映画見ていて感じたのは 制限なき攻撃性というものでしょうか、、、
少女に寄り添う刑事をトラウマの抱えた キャラ設定にしたのは それだけ痛みを知っているだけ 少女の心情を共有できるとしたかったのかなと思いました   攻撃性に躊躇を覚える人物として・・・

昨今の世相で嫌なのはアメリカ的、中国的な自己主張の強い国民性になっていることです
もちろん、これは外交的に強かになる意味ではいいことでしょう
ただ、、やたらとパフォーマンスがうまく相手を攻撃し正義をがなりたてる人物が有能だとか正しいともてはやされるのを見ると、ちょっと違うんじゃないかと思うのです    必然、こっちも自衛上 理論武装し自己主張が強くなる
でも行き着く先は絶えず 攻撃しやすい生贄を求めての自己の正当化という お寒い風土、、、、様々な事を感じさせてくれた映画でした

8211 Reply 更新のお知らせです。 間借り人ヤマ(管理人) Mail URL 2010/01/09 23:40
今し方、本年最初の更新を済ませました。
お訪ねくださっている皆様方、本年もよろしくお願いします。
<日誌・・・ /闇の子供たち/マルセイユの決着>
<リンク・・ /エル・スール/海底軍艦/ディア・ドクターに推薦テクストを追加リンク>
となっています。

『エル・スール』は、参照テクストに原作小説の感想文、
推薦テクストは、人魚さんから、
『海底軍艦』は、神宮寺さんから、
『ディア・ドクター』は、ケイケイさん、ミノさん、TAOさん、山下さん
から拝借しました。皆様どうもありがとうございました。

8210 Reply Re:あけましておめでとうございます 間借り人ヤマ(管理人) Mail URL 2010/01/02 19:51
ミノさん
あけましておめでとうございます。
知恵に限らず何でもチューチューお吸いくださいませ(笑)

『サマー・ウォーズ』は世評高く、我ら周辺でも支持者が圧倒的
というなかにあって、数少ない乗れない組でしたね、お互い。

 >何も継続性のない私が、映画を見たり感想書いたりだけは
 >続いていることを見ると、
 >まあひとつくらい続けられることがあるんだなーと(笑)

映画とは相性がいいんだなー、きっと。
何より、何より!(喜)

 >今年もいいバランスでフィクションとリアル人生をですね、
 >並存させていきたいので(笑) またお付き合いくださいませね。

もちろんですとも。こちらこそ、よろしく願いま〜す。

8209 Reply あけましておめでとうございます ミノ 2010/01/02 11:03
ヤマさん

あけましておめでとうございます。

昨年は、ヤマさんから色々と学ばせて頂きました笑
今年もバンパイヤのごとく、賢人の知恵をチューチュー吸い込んでいこうと思ってるので(なんかやらしいな笑)よろしくご指導くださいますようお願いいたします。


さて、「サマー・ウォーズ」にリンクはって頂き、ありがとうございます。
何も継続性のない私が、映画を見たり感想書いたりだけは続いていることを見ると、まあひとつくらい続けられることがあるんだなーと笑

今年もいいバランスでフィクションとリアル人生をですね、並存させていきたいので笑 またお付き合いくださいませね。

8208 Reply 更新のお知らせです。 間借り人ヤマ(管理人) Mail URL 2009/12/29 21:35
今し方、本年最後の12/30付けの更新を済ませました。
<日誌・・・ /カールじいさんの空飛ぶ家/ウォレスとグルミット特集/岸辺のふたり>
<リンク・・ /愛を読むひと/哀愁/サマーウォーズに推薦テクストを追加リンク>
となっています。

『愛を読むひと』は、olddogさん、『哀愁』は、映画ありきさん、
『サマーウォーズ』は、ケイケイさん、ミノさんから拝借しました。
みなさま、どうもありがとうございました。

8206 Reply Re:『グラン・トリノ』に関して 間借り人ヤマ(管理人) Mail URL 2009/12/22 00:06
ようこそ、olddogさん。

 >ウォルトを「アウトロー」と定義した事とその事を奇異に思う事そのものが、
 >前回の「懺悔」を巡る意識の違いにそのまま繋がっていく様にも思います。

ほぅ。

 >私はウォルトの孤独が、朝鮮戦争での体験を忘れ去って佳しとしなかった
 >ウォルトの矜持の様なものに起因するものと捉え、
 >そこに「集団の中にあってあくまで"孤"を維持しようとする者」
 >としてのアウトローの姿になぞらえてみたのでした。

なるほどね。
積極的に「あくまで“弧”を維持しようと」したのか、
それとも参戦体験を風化させないことで結果的に“弧”を
引き受けざるを得なかったかは微妙ですが、僕は後者に立ち、
なおかつ拙日誌に
「朝鮮戦争での出兵時に心の深いところで傷を負いながらも
 マッチョに縛られて弱みなど見せることができずに生きて来た男で、
 おそらく唯一亡き妻のみが、彼が肩肘張って気張ることを要しない形に
 包み込んでいた存在だったような気が、僕はしたのだった。」
と綴ったように、亡き妻や悪態をつき合うダチの存在を求めていて、
決して自ら“弧”を求めているようには思っていませんでした。
でも、
「朝鮮戦争での体験を忘れ去って佳しとしなかったウォルトの矜持」
というのには、共感があります。そして、その記憶の持ち方は
リンチの『ストレイト・ストーリー』のアルヴィンじいさんに
近いものがあるような感じで受止めていました。
だから、アウトローとは繋がらなかったのですが、おっしゃるように
長年、映画を観続けてきた者においては、イーストウッド自身が演じることに
そのようなものを感じないではいられないところがある
というのも、十分理解できます。当否正誤の問題ではありませんよね。
ましてや、olddogさんは、
「ある意味、クリント・イーストウッドという人物に当て嵌められた
 ステレオタイプを通して映画を観ていたという事でもあり、
 『グラン・トリノ』という一本の作品そのものを論じる時に
 どこまで有効かは定かではありませんが」
との自覚を備えたうえで、御自身のお感じになったものを述べているのですから
尚更のことのように思います。

 >実直な労働者であり、そのまま年を重ねれば善きファミリーマンとなっていた筈のウォルトが、
 >何故極端に頑固で意固地な男になってしまったのか
 >という問いに、答のひとつを与えてくれた様にも思います。

十分に、答のひとつではあろうと僕も思います。

 >一方で、"身を寄せ合う事"は人を脆弱にするばかりでなく
 >ある種の強さを与えもします。

そうですね。
というか、全くの“弧”では、人は生きられないように思います。

 >『グラン・トリノ』におけるウオルト・コワルスキーは、
 >そうした強さに最初気付かず、妻の死を契機として
 >それに気付いていく男でもありました。
 >ヤマさんがこの映画を語る時に主軸に置いている部分ですね。

そうです。
正確には、その強さに気付いてないのではなく、
そうした関係を物ではない人とは、多く築けなかった悔悟に対して
やむを得なかっただけではない部分があったことに気付いたってことでしょうか。

 >つまり多分私はこの映画を、
 >「アウトローとして世間に背を向けて、たぶん少し見下して生きて来た男が、
 世間に迎合するのではなく協調していく事の素晴らしさに気付き、
 しかし自身はアウトローとしての本分を全うして為すべき事を為す物語」
 >と見ているのでしょう。
 >だからウォルトの最後の一日を
 >あくまで「孤高の男の最後の一日」として取り扱い、
 >そうした視点に合致しない描写を軽視しがちなんでしょうね。

なるほど。冷静な振り返りですね。納得です。
まぁ、映画に対し、己の観たいものを観て採るというのは、
鑑賞者の特権ですし、醍醐味ですものねー。

 >それは私にとってはごく自然な受け取り方だったのですが、
 >逆にヤマさんがそこに奇異の視線を向けてくれた事によって、
 >自分がどこから『グラン・トリノ』に光を当てているかが
 >少し明らかになりました。書きなぐりにも思わぬ効用があるものですね。

感じ考えたことを書き止め公表することの果報は、
まさしくこういうところにありますよね。
談義、対話の最大の効用ですので、僕も最大限享受したいと思っています。

 >『ふたりのベロニカ』は私はキェシロフスキ監督作品の中では最も好きな映画です。

おおー、そうでしたか!(喜)

 >首都圏では今年リバイバル上映されましたので、
 >もしかしたらそちらでも上映されるかもしれません。

なかなかそうは問屋がおろさないのですが(苦笑)、
いつか再見する機会が得られるのではないかとは思っています。

 >もし再見の機会がある様でしたら、それを契機に
 >ヤマさんなりの『ふたりのベロニカ』を拝見出来れば幸いです。

嬉しいご期待を寄せていただき、身に余ります。
今度、観る機会に恵まれたら、必ずや拙日誌を綴っておく所存です。

8205 Reply Re:『グラン・トリノ』に関して olddog URL 2009/12/21 22:20
ヤマさん、こんにちは。
我ながらつまらない感想文ですが、拝見していただいて有難く思います。

ウォルトを「アウトロー」と定義した事とその事を奇異に思う事そのものが、前回の「懺悔」を巡る意識の違いにそのまま繋がっていく様にも思います。私はウォルトの孤独が、朝鮮戦争での体験を忘れ去って佳しとしなかったウォルトの挟持の様なものに起因するものと捉え、そこに「集団の中にあってあくまで"孤"を維持しようとする者」としてのアウトローの姿になぞらえてみたのでした。

同じSNSで、イーストウッドの今年もう一本の公開作品『チェンジリング』に関して私が書いた感想を引用しておきます。多分私はこの時の感覚を携えたまま、『グラン・トリノ』に臨んでいた様に思いますので。

--
クリント・イーストウッドは、その根幹はやはり西部劇の人だ。身を寄せる物とて無い荒野に身ひとつで立ち向かい、だからこそ自分自身に厳しい戒律を課すアウトローの姿を、身を寄せ合い守り合う事を覚えたが故にどこまでも脆弱になっていく民衆の姿を、どのようなジャンルの映画にも必ず根底に忍ばせる。
イーストウッドは「ヒロイック」と呼ばれるに足る条件が何かを充分に知悉し、ヒロイックな行為の集積がいつか「今よりはましな世界」の到来に結実すると、本気で信じているのだろう。
--

それはある意味、クリント・イーストウッドという人物に当て嵌められたステレオタイプを通して映画を観ていたという事でもあり、『グラン・トリノ』という一本の作品そのものを論じる時にどこまで有効かは定かではありませんが、実直な労働者であり、そのまま年を重ねれば善きファミリーマンとなっていた筈のウォルトが、何故極端に頑固で意固地な男になってしまったのかという問いに、答のひとつを与えてくれた様にも思います。

一方で、"身を寄せ合う事"は人を脆弱にするばかりでなくある種の強さを与えもします。『グラン・トリノ』におけるウオルト・コワルスキーは、そうした強さに最初気付かず、妻の死を契機としてそれに気付いていく男でもありました。ヤマさんがこの映画を語る時に主軸に置いている部分ですね。

つまり多分私はこの映画を、「アウトローとして世間に背を向けて、たぶん少し見下して生きて来た男が、世間に迎合するのではなく協調していく事の素晴らしさに気付き、しかし自身はアウトローとしての本分を全うして為すべき事を為す物語」と見ているのでしょう。だからウォルトの最後の一日をあくまで「孤高の男の最後の一日」として取り扱い、そうした視点に合致しない描写を軽視しがちなんでしょうね。

それは私にとってはごく自然な受け取り方だったのですが、逆にヤマさんがそこに奇異の視線を向けてくれた事によって、自分がどこから『グラン・トリノ』に光を当てているかが少し明らかになりました。書きなぐりにも思わぬ効用があるものですね。

『ふたりのベロニカ』は私はキェシロフスキ監督作品の中では最も好きな映画です。首都圏では今年リバイバル上映されましたので、もしかしたらそちらでも上映されるかもしれません。もし再見の機会がある様でしたら、それを契機にヤマさんなりの『ふたりのベロニカ』を拝見出来れば幸いです。

8204 Reply Re:『グラン・トリノ』に関して 間借り人ヤマ(管理人) Mail URL 2009/12/21 20:49
ようこそ、olddogさん。

 >ぴあが主催している「映画生活」というSNSがあって、
 >最近はそこに小口の感想を書きなぐるのが主になってしまいました。

そうでしたか。
まとまったものを書くには、書く時間そのもの以上に
反芻に時間を要しますから、習慣から外れると、そうなるかもしれませんね。


 >『グラン・トリノ』についても以下に書いています

拝見しました。
自動車工一筋でフォード社を勤め上げた東欧系アメリカ人ウォルト・コワルスキーを
アウトローとしてご覧になっていたことに少々意表を突かれました。


 >今年観た映画の筆頭に挙げたくなる位に好きな作品なのですが、
 >どうやら鑑賞当時は見事に「通り過ぎてしまった」映画にしてしまった様です。

そういうこともありますよね。
僕にとってのそれとしてすぐ思い浮かぶのは『ふたりのベロニカ』です。
なぜか日誌を綴ってません(苦笑)。
たぶん時間が取れなかったからなんでしょうが、我ながら残念に思っています(たは)。

8203 Reply Re:『グラン・トリノ』に関して olddog URL 2009/12/21 08:12
> それはそうと、お教えいただいたURLの辿った先に、
> 『グラン・トリノ』のレビューが見当たらなかったように思うのですが、
> どこに置いてありますか?

最近は余りまとまった感想を書く意欲がわかず、今回の様にヤマさんの映画評にぶら下がって楽をさせて貰ったりしています。
ぴあが主催している「映画生活」というSNSがあって、最近はそこに小口の感想を書きなぐるのが主になってしまいました。『グラン・トリノ』についても以下に書いていますが、読み直してみると実に中身が無い。今年観た映画の筆頭に挙げたくなる位に好きな作品なのですが、どうやら鑑賞当時は見事に「通り過ぎてしまった」映画にしてしまった様です。

「映画生活」の『グラン・トリノ』のアーティクル群
http://pia-eigaseikatsu.jp/title/24703/

その中の当方の感想文
http://pia-eigaseikatsu.jp/imp/24703/515324/

8202 Reply Re:『グラン・トリノ』に関して 間借り人ヤマ(管理人) Mail URL 2009/12/21 00:25
ようこそ、olddogさん。

 >『グラン・トリノ』の話題に話が波及しましたので、
 >こちらをお借りしてお話を続けさせていただきたく思います。

お待ち申し上げておりました。

 >『グラン・トリノ』の終盤、物語の中での最後の一日における、
 >主人公ウォルト・コワルスキーの行動とその解釈について、
 >特に彼が教会に赴き懺悔を行う事の解釈について、
 >ヤマさんと私とで捉え方に差異がある事が判ってきましたので、
 >その差異を炙り出す事で、作品鑑賞の"間口"を広げる一助とでもなればと思っております。

ありがとうございます。楽しみです。

 >ヤマさんの書かれた映画評は公開当時拝見していました。

そうでしたか。それはどうも恐れ入ります。
僕は、アクセス解析というものを付けていないので、
そのへんのことは全く分からないのですが、ありがたいことです。
olddogさんのブログのほうには、『グラン・トリノ』のレビューが
見当たらないのですが、どこか他にお書きなんですか?

 >ウォルトと長年連れ添い、映画が始まる直前に死亡している彼の妻が、
 >劇中の重要な「物言わぬ登場人物」となっています。

はい。そのとおりです。

 >彼女の存在は、劇中様々な場面でウォルトの行動規範となり、
 >また翻意を促す契機ともなっていました。ヤマさんの評の秀逸な部分は、
 >彼女とウォルトの隣家に超して来た少数民族の娘スーとの共通項を見出し、
 >その共通性が劇中のウォルトの変化に大きな影響を与えている、
 >と看破した点にあるでしょう。

恐れ入ります。「彼の亡き妻は、おそらくスーのように
 気丈で聡明で、受容力に富んだ笑顔の素敵な女性で、
 ウォルトは、スーのなかに亡き妻の気質を見出したからこそ、
 姉弟との付き合いを深めていったのではなかろうか。」
と書いた部分ですね。

 >そうした視点を踏まえる事でウォルトの妻は、
 >単にウォルトの"人間味"の部分を保証する担保としてのみではなく、
 >ウォルトと「ウォルトの外の社会」とを繋ぐ橋頭堡
 >としての位置付けが明らかになってきます。

頑なだったはずのウォルトが何故、彼ら姉弟には心開いて行ったのか
を自分なりに思いを巡らせるなかで解釈したものでしたが、
拙日誌に「かほどに彼にとって、亡き妻の存在は重きをなしていた」と
綴った内面的意味合いを補って外との関係で言えば、まさしく彼女が
“ウォルトと「ウォルトの外の社会」とを繋ぐ橋頭堡”でしたね。

 >そうした視点を踏まえると、確かにヤマさんが指摘した如く、
 >懺悔の最後に神父に促されて付け足した「自身の関係性の欠如を嘆くウォルトの姿」は、
 >劇中重要なポイントとして配置されている、と見て良いでしょう。

ご了解いただけて嬉しく思います。
得てしてこの部分は、若き神父への懺悔に本音は発しなかった場面だと
ご覧になる方々が多そうなものですから、そうでもないのではないか
との提起をしてみたかった箇所なので、そのように汲んでいただけると
とても嬉しく感じます(礼)。

 >教会においてなされたウォルトの懺悔を、単なる儀礼的なもの、
 >人生の節目において為すべき事の一環として為されたものに過ぎず、
 >その日ウォルトが行った他の儀礼的な行為 - 床屋での散髪や
 >スーツの新調と同義に捉えています。

そのようにご覧になる方のほうが、きっと多いのではないかとの見方を
僕自身もしているようなところがあります。

 >それは、その後ウォルトがタオと最後の会話をする場面において、
 >明らかに告解室での懺悔を意識した演出が行われていた事から
 >逆算して導きだしたものでした。

明らかに対照していましたから、そのようにご覧になるほうが
むしろ自然なのかもしれません。

 >タオとの会話において行われた心中吐露がウォルトの"懺悔"と仮定すると、
 >また、懺悔なるものが一般的な「"罪"の告白」を指しているとすると、
 >ウォルトが教会に赴いたのはあくまで節目として、
 >身仕舞いの一環として妻との約束を果たす為と考えても
 >差し支えなくなってしまう訳です。

別に差し障りはありませんものね。それは僕もそう思います。
それこそ“逆算”と言い方をするならば、僕のそれも、
まさしく彼の示した決意の行動の結果から逆算して、
「自身の子供たちとの間に溝を作ってしまったことへの悔恨は、
 彼のなかでは本当に重い意味を持ったものだったような気がした」
ものだったように思います。

 >教会でウォルトが語ったのは(息子達に代表される)関係性を絶って自らの内に引きこもった事の罪。
 >自宅でタオに語ったのはより直接的な、朝鮮戦争出兵時に一方的な虐殺となった作戦行動に参加した事、すなわち殺人の罪についてでした。

どちらも等しく“罪”なんですよねー。

 >亡き妻から隣家の少女スーを通じて社会全体へと至る
 >「ウォルトの関係性に対する心境の変化」を主軸に据えると前者へ、
 >劇中ウォルトの幾つかの行動で示される、
 >非道に対する暴力的な制裁とその行き着く先への暗示を主軸に据えると後者へ、
 >二種類の懺悔の比重はそれぞれ傾く事になります。

そうですね。直接的には後者なのだろうとは思いますよ。

 >当然ながら『グラン・トリノ』はひとつのテーマを語る事のみに終始する様な
 >安直な物語では無い訳で、孤独な老人が社会との関わりを取り戻す
 >仮定(過程?)が描かれなければ
 >その老人が社会の為にその身を犠牲にしようと決意する事もありません。

ですよねー。

 >どちらも十全に描き込まれる必要があり、また事実十全に描き込まれてもいます。

同感です。

 >「いずれが欠けてもウォルトに"その決意"は訪れなかった」
 >というのはまさしくその通りです。

ご賛同がいただけて、幸いです。

 >ウォルトの心境が変化した象徴として描かれた"最後の一日"の行動のうち、
 >個々の観客がそれぞれどの部分を重要視し抜き出してみせるか、の差が、
 >私とヤマさんの解釈の差と言う事になるのでしょう。

そのようですね。映画に対する見解の相違は、
概ねこういうものでなければいけないと感じています。
それはそうと、お教えいただいたURLの辿った先に、
『グラン・トリノ』のレビューが見当たらなかったように思うのですが、
どこに置いてありますか?

8201 Reply 『グラン・トリノ』に関して olddog URL 2009/12/20 20:52
お邪魔します。
別の場所で現在公開中の映画『カールじいさんの空飛ぶ家』を題材にヤマさんと話させていただいた過程で、同じく偏屈な老人を主人公とするもう一本の映画、クリント・イーストウッドの『グラン・トリノ』の話題に話が波及しましたので、こちらをお借りしてお話を続けさせていただきたく思います。

そこでは、『グラン・トリノ』の終盤、物語の中での最後の一日における、主人公ウォルト・コワルスキーの行動とその解釈について、特に彼が教会に赴き懺悔を行う事の解釈について、ヤマさんと私とで捉え方に差異がある事が判ってきましたので、その差異を炙り出す事で、作品鑑賞の"間口"を広げる一助とでもなればと思っております。

ヤマさんの書かれた映画評は公開当時拝見していました。この映画では、ウォルトと長年連れ添い、映画が始まる直前に死亡している彼の妻が、劇中の重要な「物言わぬ登場人物」となっています。彼女の存在は、劇中様々な場面でウォルトの行動規範となり、また翻意を促す契機ともなっていました。ヤマさんの評の秀逸な部分は、彼女とウォルトの隣家に超して来た少数民族の娘スーとの共通項を見出し、その共通性が劇中のウォルトの変化に大きな影響を与えている、と看破した点にあるでしょう。そうした視点を踏まえる事でウォルトの妻は、単にウォルトの"人間味"の部分を保証する担保としてのみではなく、ウォルトと「ウォルトの外の社会」とを繋ぐ橋頭堡としての位置付けが明らかになってきます。

そうした視点を踏まえると、確かにヤマさんが指摘した如く、懺悔の最後に神父に促されて付け足した「自身の関係性の欠如を嘆くウォルトの姿」は、劇中重要なポイントとして配置されている、と見て良いでしょう。

一方で私は鑑賞時、教会においてなされたウォルトの懺悔を、単なる儀礼的なもの、人生の節目において為すべき事の一環として為されたものに過ぎず、その日ウォルトが行った他の儀礼的な行為 - 床屋での散髪やスーツの新調と同義に捉えています。
それは、その後ウォルトがタオと最後の会話をする場面において、明らかに告解室での懺悔を意識した演出が行われていた事から逆算して導きだしたものでした。タオとの会話において行われた心中吐露がウォルトの"懺悔"と仮定すると、また、懺悔なるものが一般的な「"罪"の告白」を指しているとすると、ウォルトが教会に赴いたのはあくまで節目として、身仕舞いの一環として妻との約束を果たす為と考えても差し支えなくなってしまう訳です。

教会でウォルトが語ったのは(息子達に代表される)関係性を絶って自らの内に引きこもった事の罪。自宅でタオに語ったのはより直接的な、朝鮮戦争出兵時に一方的な虐殺となった作戦行動に参加した事、すなわち殺人の罪についてでした。
亡き妻から隣家の少女スーを通じて社会全体へと至る「ウォルトの関係性に対する心境の変化」を主軸に据えると前者へ、劇中ウォルトの幾つかの行動で示される、非道に対する暴力的な制裁とその行き着く先への暗示を主軸に据えると後者へ、二種類の懺悔の比重はそれぞれ傾く事になります。

当然ながら『グラン・トリノ』はひとつのテーマを語る事のみに終始する様な安直な物語では無い訳で、孤独な老人が社会との関わりを取り戻す仮定が描かれなければその老人が社会の為にその身を犠牲にしようと決意する事もありません。どちらも十全に描き込まれる必要があり、また事実十全に描き込まれてもいます。ヤマさんが映画評で書かれている「いずれが欠けてもウォルトに"その決意"は訪れなかった」というのはまさしくその通りです。

だから結局は、ウォルトの心境が変化した象徴として描かれた"最後の一日"の行動のうち、個々の観客がそれぞれどの部分を重要視し抜き出してみせるか、の差が、私とヤマさんの解釈の差と言う事になるのでしょう。

8200 Reply 更新のお知らせです。 間借り人ヤマ(管理人) Mail URL 2009/12/19 22:48
今し方、12/20付けの更新を済ませました。
<日誌・・・ /忠臣蔵 花の巻・雪の巻('54)>
<雑文・・・ /必要な不便・非効率>
となっています。

8199 Reply Re:これで最後です の補足no 間借り人ヤマ(管理人) Mail URL 2009/12/13 08:50
ようこそ、南無胡坐・有田さん。ご丁寧にありがとうございます。

 >お書き込みを読み、私の言葉が原作の真実だったかどうか急に不安になり
 >原作を久しぶりに手に取り確認しました
 >思い違いです
 >犯人の社長夫人の小船の乗っての旅立ち(自殺)は、 その通りなのですが 
 >社長夫人とヒロインは崖の上では対決してません

そうでしたか。
映画のほうの個々の場面に踏み込んだ話を、まだご覧になってない方とするのは
気が引けたので、ケイケイさんとこへ振ってしまったのですが、
「火サスの刷り込みが仇になってました」には笑えました(ふふ)。

 >そこの再現
 >「室田さん、奥様は?」
 >海を指差し「家内は向こうに行っています  あれが家内です
 >もう此処に来られた以上私から何も話すことはないでしょう 
 >あなたはすべて、お分かりになった 」 
 >「この荒海では、まもなく船は転覆するでしょう
 >私は、あの海の下に家内の墓があると思っています
 >そして今頃、毎年 ここを訪れようと思っています」
 >以上、ほぼ原作どおりです  どうです? 素晴らしいでしょう

奥床しさを是とする時代性に相応しい演出が施されていますね。
当世風の“あからさま”が罷り通る時代ではありませんでしたからね。

 >私も久しぶりに読み返し感動しました 対決よりも、さらに情緒的

まさに、そうですね。
捜索する者と犯人が断崖で対峙するものとの刷り込みは
対峙なきラストに対決イメージを植え付けるほどに強力だったわけですね。

 >何でこのラストを無視したんや!!!   、、、って全然潔くない  
 >清張の文学の真髄  犯人の悲哀もでてるんですよね
 >何でこれを採用しないのかなぁ〜  まだ言うか?

あはは。読み返して感慨を新たにすれば尚更にその思いは強くなるでしょうね。
今回補足をしていただいて、より正確になり、
確かに2点の中身には変更を要するようですが、基本的には
今回の映画化における改変問題についての僕の思いには影響しませんでした。
そして、また新たな情報をいただき、思い及んだのですが、
確かにラストを改変し、奥床しさはなくなっていますが、
ご指摘の“犯人の悲哀”については、改変してもなお映画化作品において
強く打ち出されていたような気がします。ぜひ御覧になってみてください。

8198 Reply Re:これで最後です の補足  しつこい 間借り人ヤマ(管理人) Mail URL 2009/12/13 08:48
ようこそ、南無胡坐・有田さん。

 >>見事に2点とも外していますよ!!
 >えっ!!!  そうなんですか? 
 >それはけしからんなぁ〜 ←それも、またよしや と言わんのかい!

人がかくありたいと願う心のとおりに実際あれるのは、極めて稀ですから(笑)。
稀どころか不可能ですね。

 >正史 ゼロの焦点 は次回リメイクまで、おあずけですね!
 >それまで生きてるかなぁ、、、

原作どおりに忠実な作品というのは、けっこうむずかしいのかも。
作り手の側は、クリエイティヴでありたいでしょうからねー。

 >でも楽しみです  今回の犬童版  ヤマさんの評価もいいみたいだし、、
 >何せ、ジョゼ作った監督だから。   
 >あえて外した2点、、、における監督独自の構築世界 見てみたいですね

ご覧いただけそうですね。その暁には、是非またこちらをお訪ねください。

 >>お話を伺っていると、僕と同世代か、
 >もしかすると少し先輩でいらっしゃいますか?

 >どんぴしゃり!  私も昭和33年
 >NANAですね!

それじゃあ、どっちかがハチを担わなきゃいけなくなるので、
まぁ、S33ですから、MIMIですね(笑)。
 
 >『ALWAYS 三丁目の夕日』

この作品、日本の映画界にとって大きなインパクトを与えましたが、
観客側にも、大きな影響を与えたような気がしています。
もう登場することはないのではないかと思われていた“国民映画”
というものに近い現われ方をしたような気がします。
そのなかにあって、まさしく舞台となったS33に生を受けた者にとっては
格別の感慨がありますよね。

 >現実に起きた事件や諸問題への人々の意見、対応などで
 >その人物の本性、実態は十分分かりますが
 >特に映画、、、という 現実という枠のたがが外れた話法に、おいては
 >その感想で より一層 分かると思います

そうなんです。現実のほうから負う制約から自由になりやすい分だけ
より各人の個性というものが表れやすくなりますよね。

 >時には、本人自身も気づいていない内的なものまで
 >そして、人と人とを突っ込んだことまで語らせてくれる機会も

まったく同感です。
  
 >ということで、ここ数日 楽しゅうございました
 >また いつの日か相手してやってください 

こちらこそ、です。よろしくお願いします。

8197 Reply これで最後です の補足no 南無胡坐・有田 2009/12/12 22:32
>拙サイトの掲示板に書き込みをしてくださった方から伺って、元々の物語では
断崖での遣り取りは、佐知子と久子ではなく佐知子と禎子であり

すいません  お詫びです  ケイケイさんお書き込みを読み、私の言葉が原作の真実だったかどうか急に不安になり原作を久しぶりに手に取り確認しました
思い違いです   犯人の社長夫人の小船の乗っての旅立ち(自殺)は、その通りなのですが 
社長夫人とヒロインは崖の上では対決してません  火サスの刷り込みが仇になってました
ヒロインが、色々推理し真犯人にたどり着き 社長夫妻の行き先がが何処そこの崖だと聞き、急いで駆けつけるのです   するとだんなの社長が崖の上から海を眺め、遠くにある小船を見つめていうのです
そこの再現
「室田さん、奥様は?」
海を指差し「家内は向こうに行っています  あれが家内です  もう此処に来られた以上私から何も話すことはないでしょう   あなたはすべて、お分かりになった 」 
「この荒海では、まもなく船は転覆するでしょう  私は、あの海の下に家内の墓があると思っています
そして今頃、毎年 ここを訪れようと思っています」
 
以上、ほぼ原作どおりです  どうです? 素晴らしいでしょう
私も久しぶりに読み返し感動しました  対決よりも、さらに情緒的
結局すべてを観念した犯人の社長夫人が、旦那に気づかれぬように 迷惑かけぬように自殺へのたびを選んだわけです

何でこのラストを無視したんや!!!   、、、って全然潔くない  
清張の文学の真髄  犯人の悲哀もでてるんですよね  何でこれを採用しないのかなぁ〜  まだ言うか?

8196 Reply これで最後です の補足  しつこい 南無胡坐・有田 2009/12/12 21:36
>この御様子では、とてもとても今回の映画化作品は許容できないかも。
ぜひ試してみてください(笑)。
>熱心なファンが固執しそうな2点だからこそってのがあるのかもしれませんが、
見事に2点とも外していますよ!!
えっ!!!  そうなんですか?  それはけしからんなぁ〜 ←それも、またよしや と言わんのかい!
そうですか・・・   正史 ゼロの焦点 は次回リメイクまで、おあずけですね!
それまで生きてるかなぁ、、、  でも楽しみです  今回の犬童版  ヤマさんの評価もいいみたいだし、、
何せ、ジョゼ作った監督だから。   あえて外した2点、、、における監督独自の構築世界 見てみたいですね


>お話を伺っていると、僕と同世代か、
もしかすると少し先輩でいらっしゃいますか?
僕は『ALWAYS 三丁目の夕日』の拙日誌にも綴ったように
その作品の舞台となった昭和33年の生まれですから、
『ゼロの焦点』の舞台となった年の翌年生まれになります。

どんぴしゃり!  私も昭和33年  同級生ですよ  懐かしいなぁ〜  この響き
どこかでヤマさんが私と近い時期のお生まれだというのは知っていたので気安く話させていただきましたが
まさか、どんぴしゃりとは?   NANAですね! 
今まで自分の生まれ年に対し深い思いははせなかったんだけど最近びっくりしています
特に『ALWAYS 三丁目の夕日』見てからは  まさに近代日本の黎明期みたいな時期だったと、、
いささか自画自賛ですが    東京タワー出来たのもこの年、  皇太子様とミッチー婚約もこの年
神様、仏様、稲生様も、この年(すいません  巨人嫌いなので)
しかも私の幼少期は東京、目黒   
当時テレビのある家庭は、なかったのですが たまたま 私の伯父(父の兄)が医者で当時としては裕福だったので我が家にテレビを譲ってもらったそうです
そんなわけで当時、私が赤ん坊のころ 我が家へ近所の人がテレビを見に毎日集まったそうで、、、
まさに『ALWAYS 三丁目の夕日』そのもの世界が   最近、母親から聞いてびっくりした次第です

>作り手と一致しているときもあれば、
必ずしも一致していない場合もあるんでしょうね。
至らない学校教育のせいで、多くの人が
鑑賞とは、作り手の表現意図を読み解くことだと思ってますが、
僕は、それは誤りだと考えています。

そうですね  リトマス試験紙かも
現実に起きた事件や諸問題への人々の意見、対応などで その人物の本性、実態は十分分かりますが
特に映画、、、という 現実という枠のたがが外れた話法に、おいては その感想で より一層 分かると思います  時には、本人自身も気づいていない内的なものまで
そして、人と人とを突っ込んだことまで語らせてくれる機会も  
ということで、ここ数日 楽しゅうございました       また いつの日か相手してやってください 

8195 Reply Re:これで最後です 間借り人ヤマ(管理人) Mail URL 2009/12/12 10:05
ようこそ、南無胡坐・有田さん。

 >そうそう! まさにこれなんですよ!
 >これに私が此処何日考えてることが凝縮されてます

そう言ってもらえると、嬉しいです。

 >「かもめ食堂」観て、こちらへよったとき この座右の銘?
 >を読んで何てセンスのいい方なんだろうと感心した覚えがあります
 >ユーモアの面はもちろん哲学的な意味でも、、、

あ、既に御覧いただいていましたか。ありがとうございます。
過分のお言葉には、恐縮しちゃいますが。
で、僕の座右の銘ですが、mixiのプロフィールにおける
「好きな言葉」の欄に以下のように記しています。
>「自分の納得する一日を持て」(小学校6年生の時、卒業記念に
>学習塾の先生から色紙に書いてほしい言葉を選べと言われ、
>選ばずに自分で考えてもいいかと尋ねて書いてもらったのだが、
>そのときにベタ褒めされたせいで自分でも好きになった。)
こっちの言葉のほうが、僕のなかでは6年付き合いの長い正室です(笑)。

 >>その作品に何を観て取るかに、受け手の人生観、人間観が出てきますよね。
 >>鑑賞という行為の楽しさであり、恐さでもあるように思っています。
 > ロールシャッハテストですか?(笑)

なるほどね。そうも言えるかも(笑)。

 >べらべらしゃべってる自分が怖いですね  裸に自らなってるようで

お互い様ですって(笑)。

 >そういえば「めがね」観たときも、行き過ぎた効率化社会への批判
 >なんて思ってましたけど、結局は自分自身の怒りなんですね・・・

作り手と一致しているときもあれば、
必ずしも一致していない場合もあるんでしょうね。
至らない学校教育のせいで、多くの人が
鑑賞とは、作り手の表現意図を読み解くことだと思ってますが、
僕は、それは誤りだと考えています。

 > ゼロの焦点 についてです

はい。

 >実はまだ未見です  ですが思い入れが
 >松本清張は金脈、埋蔵資源みたいなものです
 >残る最後の大物は ゼロの焦点 だとずっと思っていました  >点と線 も素晴らしかったが、やはり最高傑作は
 >「ゼロの焦点」だと個人的には思っています
 
そこまで原作に思い入れが強いと、
今回の映画化作品には抵抗感があるかもしれませんよ(笑)。

 >ここまでの結論になった所以はラストの余韻 
 >自分の知る小説の中でも最高のラストだと思います
 >奈良岡朋子さんが犯人の社長夫人役、、、
 >彼女が小船で海へ行く(自殺)、、それを見送る夫
 >子供の頃の記憶なのにいまだに覚えてると言うだけでも、
 >私の思い入れが分かっていただけるかと思います

相当に強く焼きついておられますねー。
それ以外のラストは考えられない! そんなのは『ゼロの焦点』じゃない!
というふうに思われるならば、今回の映画化作品は、
似非『ゼロの焦点』になってしまいますねぇ(ふふ)。

 >久我美子さんが主演だった映画版も素晴らしかったです  
 >ただ残念なのは犯人の社長夫人が小船で海へ行く部分は削られてしまい
 >少し情緒がそがれたのが残念です
 >船で海へ行き自殺しに行く妻を見送りながら夫の社長が何か言うのですね ヒロインに  それで終わりです

この御様子では、とてもとても今回の映画化作品は許容できないかも。
ぜひ試してみてください(笑)。

 >それと崖の上でのヒロインと犯人の対峙 これも語り草で、
 >その後の火サスだの船越ジュニアのサスペンスものの定番となりました
 >ルーツは、これなんですね

そうらしいですね。

 >自分もそれを知ったときは驚きました
 >だから崖の上でのヒロインと犯人の対峙
 >犯人の社長夫人が小船で海へ行く
 >この2点は絶対守って欲しいのですが、はたして犬童版ではいかがでしたか?

熱心なファンが固執しそうな2点だからこそってのがあるのかもしれませんが、
見事に2点とも外していますよ!!
どう外しているかは、ぜひ御覧になってお確かめください。
そして、絶対に守ってほしいとお思いになるファンが
これならば、と納得できる改変になっていたかどうか、また教えてください。
僕は、敢えて確信的に外している作り手の意気込みに対して、
どういう視点からその部分を変えたのかがきちんと示され、
納得感をもたらしてくれているという点で、南無胡坐・有田さんのお話を伺い、
今回の映画化作品への評価が高まりました。
いいことを聞かせていただき、ありがとうございます。

 >広末さんも最近良い女優におなりなんですが、どうも自分には
 >とってもとっても〜♪の残像が強すぎて(苦笑)

アイドル路線でスタートしましたからね。
でも、僕は、あまりTVを観ないせいか、彼女についても
アイドルよりは原将人監督の『20世紀ノスタルジア』での印象のほうが強く
どちらかと言えば、蒼井優に近いイメージのほうがありましたからね。

 >でもヒロインは、もともと世間知らずで行方不明の夫を探す人の設定だから、
 >その意味では広末さんのキャスト最適ですよね

ええ、よく体現していたと思いますよ。このへんも是非ご確認ください。

 >それと肝心の薄幸、わけあり女性
 >2人のどちらかに夏川さんと双璧の薄幸女優
 >木村多江さんがキャストされているそうで安心しました

「久子」です。好演でしたよ。

 >たぶんに昭和への私のノスタルジーもあるんですが
 >当時(昭和中期)のミステリ映画は力作が多いですよね

お話を伺っていると、僕と同世代か、
もしかすると少し先輩でいらっしゃいますか?
僕は『ALWAYS 三丁目の夕日』の拙日誌にも綴ったように
その作品の舞台となった昭和33年の生まれですから、
『ゼロの焦点』の舞台となった年の翌年生まれになります。

 >何といっても 三国先生の「飢餓海峡」、、、何回見直したことか
 >私の中で ゼロの焦点 がリメイクされた以上、残る最後の大物は 飢餓海峡

内田監督の名作ですよね。

 >もちろん主役は 佐藤浩市さん

ご本人は、まだやりたくないかも(笑)。

 >ただ追い詰める刑事役に伴淳の味を出せる人がいるのかなぁ〜と。
 >21世紀版 点と線 では伴淳が同じく刑事役だったのを、たけしが引き継いでいましたが・・・・

伴淳三郎とタケシじゃ、テイストが全く違いますね(笑)。

 >三国さんが生きてる間に、三国さんをカメオ出演でどこかの老人役にでも出して
 >・・・・なんて粋な企画されてる人いないんでしょうかね?

いないことはないと思いますよ、あれだけの作品ですから。
でも、スタッフ・キャストには凄いプレッシャーですよね(笑)。
TVドラマとしては、映画の十三年後に放映されてたようですよ。
企画したのが今村昌平で、演出が浦山桐郎と恩地日出夫だったようですから、
これまた凄いと言えば、凄いですよね〜。

8194 Reply これで最後です 南無胡坐・有田 2009/12/11 21:01
>読書感想文については、mixiのほうにて公開してますが
そうですか、、、残念だけど それもまたよしや(笑)

>『かもめ食堂』や『禅 ZEN 』の拙日誌に、上杉鷹山の名言として知られる
「為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり」をもじって
「成れば成る 成らねば成らぬ 何事も 成るも成らぬも 事の成行き 〜自然流〜」などと

そうそう!  まさにこれなんですよ!  これに私が此処何日考えてることが凝縮されてます
それと「かもめ食堂」観て、こちらへよったとき この座右の銘?を読んで何てセンスの言い方なんだろうと感心した覚えがあります   ユーモアの面はもちろん哲学的な意味でも、、、

>その作品に何を観て取るかに、受け手の人生観、人間観が出てきますよね。
鑑賞という行為の楽しさであり、恐さでもあるように思っています。
ロールシャッハテストですか?(笑)  べらべらしゃべってる自分が怖いですね  裸に自らなってるようで
そういえば「めがね」観たときも、行き過ぎた効率化社会への批判 なんて思ってましたけど、結局は自分自身の怒りなんですね・・・

ゼロの焦点 についてです  実はまだ未見です  ですが思い入れが
松本清張は金脈、埋蔵資源みたいなものです   
子供のころ開発され尽くした感がありましたが、 世代が変わって 新しい世代には新鮮なものに
そして リメイクの 点と線、黒皮の手帖、砂の器  もことごとく大ヒット
残る最後の大物は ゼロの焦点 だとずっと思っていました  
だから、こんなに、早く映画化されるのが惜しいような   まだ見ぬ最後の大物で居て欲しかった
そして ヒロインには 私の思う日本一の薄幸女優 夏川結衣さんに演じて欲しかったのです
前置きが長くなりましたが それくらい「ゼロの焦点」には、こだわりがあります
点と線 も素晴らしかったが、やはり最高傑作は「ゼロの焦点」だと個人的には思っています
ここまでの結論になった所以はラストの余韻  自分の知る小説の中でも最高のラストだと思います
奈良岡朋子さんが犯人の社長夫人役、、、彼女が小船で海へ行く(自殺)、、それを見送る夫
子供の頃の記憶なのにいまだに覚えてると言うだけでも、私の思い入れが分かっていただけるかと思います

久我美子さんが主演だった映画版も素晴らしかったです  
ただ残念なのは犯人の社長夫人が小船で海へ行く部分は削られてしまい少し情緒がそがれたのが残念です   船で海へ行き自殺しに行く妻を見送りながら夫の社長が何か言うのですね  ヒロインに
それで終わりです    原作を読んでも、とても感動した覚えがあります

それと崖の上でのヒロインと犯人の対峙  これも語り草で、その後の火サスだの船越ジュニアのサスペンスものの定番となりました    ルーツは、これなんですね  自分もそれを知ったときは驚きました
だから崖の上でのヒロインと犯人の対峙  犯人の社長夫人が小船で海へ行く  この2点は絶対守って欲しいのですが、はたして犬童版ではいかがでしたか?
広末さんも最近良い女優におなりなんですが、どうも自分には とってもとっても〜♪の残像が強すぎて(苦笑)   でもヒロインは、もともと世間知らずで行方不明の夫を探す人の設定だから、その意味では広末さんのキャスト最適ですよね
それと肝心の薄幸、わけあり女性 2人のどちらかに夏川さんと双璧の薄幸女優 木村多江さんがキャストされているそうで安心しました
たぶんに昭和への私のノスタルジーもあるんですが当時(昭和中期)のミステリ映画は力作が多いですよね
高峰版 点と線 もそうだし、何といっても 三国先生の「飢餓海峡」、、、何回見直したことか
私の中で ゼロの焦点 がリメイクされた以上、残る最後の大物は 飢餓海峡
もちろん主役は 佐藤浩市さん    ただ追い詰める刑事役に伴淳の味を出せる人がいるのかなぁ〜と。
21世紀版 点と線 では伴淳が同じく刑事役だったのを、たけしが引き継いでいましたが・・・・
なんて私のささやかな妄想です   でも三国さんが生きてる間に、三国さんを カメオ出演でどこかの老人役にでも出して・・・・なんて粋な企画されてる人いないんでしょうかね?

8193 Reply Re:補足です、、、長いけど 間借り人ヤマ(管理人) Mail URL 2009/12/11 07:08
ようこそ、南無胡坐・有田さん。

 >調子に乗ってまた来ました

どうぞどうぞ(にこ)。

 >出来れば映画感想だけでなく他の文も読みたいなと思ったのです。

ありがとうございます。
何らかの媒体に公表した雑文は、トップページの
「日本映画日誌 タイトルインデックス(50音順) + 公表雑文集」を
プルダウンしていただくと、最下段に出てきます。
舞台劇や音楽などのライブ公演について綴ったものは、
トップページをスクロールダウンしていただくと、
「***** 姉妹サイト『ヤマさんのライブ備忘録』もよろしく ***** 」
という表示がありますので、朱文字部分をクリックしてみてください。

 >残念ながら他の読書感想の行き先を探しましたが分かりませんでした  
 >あればお教えください

読書感想文については、mixiのほうにて公開してますが、
HP『間借り人の映画日誌』のほうにも転載しているのは、
前回更新時に参照テクストとしてサイトアップした
真山仁 著『ハゲタカ』感想文/酒井順子 著『儒教と負け犬』感想文 のほかは
後者のページに参照テクストとして掲載している
中村うさぎ 著『私という病』読書感想文 のみです。

 >>この掲示板での談義やメール談義を重ねたものを編集採録したもの
 >もちろん読ませていただきましたよ  教えていただく前にすでに。

ありがとうございます。談義をすると、とても触発されます。
幸いにして、こちらでは、とてもよい談義相手の方々に恵まれました。

 >そしてジョゼの逃げ かどうかの考察、、これも大変考えさせられました。

お茶屋さんやタンミノワさんとの談義ですね。

 >で、、私にもそれにインスパイアされて、ある考えが

おー、それはまことに嬉しいことです。

 >映画というものは無駄に見える場面でも意味がある 色んな所に伏線がある
 >これは私なりに、そうだと考えている映画の法則です

僕も同感です。

 >ジョゼの、もう一つの名台詞 「帰れといわれて帰る奴は帰れ」
 >これが「でも、まあ、それもまた良しや」と結びつくのです

ほぅ。

 >これは一見、一人言のように見えて 妻ブキ君演じる彼へのメッセージ
 >つまり 先の「帰れ」の変形 彼に負担のかからぬように
 >逃げたかったらそれもよいという選択権の提示ではと思いました

なるほど。最後まで見届けると、そういう受け止めも確かに考えられますね。
通常は「帰れといわれて帰る奴は帰れ」という表現に選択権の提示はなく、
帰って欲しくない思いに怒りのニュアンスを込めた反語表現なんですけどね。
それゆえに、往々にしていわゆる“売り言葉”になったりしますよね。
でも、ジョゼの場合、最後に見せていた構えの潔さからすれば、反語ではなく

 >そしてまた彼は帰ってしまった(笑)

手を焼いたのかも、ですね(笑)。

 >だから此処でも彼は試されたのだと思うのです
 >ただ前回と違いジョゼのほうで、こだわりはなくなった。
 >あるいは深読みして あのこだわりのなさは 演技、、、
 >彼を試す上での とも考えられますが。

試しは、女性の本領というか習性とお考えですか? 南無胡坐・有田さん(笑)。

 >その後のジョゼの明るさ、逞しさを考慮すると あの台詞はやはり本音でしょう

僕もそちらを採りたいですね。試しに潔さは伴いませんし。

 >それにしても哲学的ですね 「でも、まあ、それもまた良しや」
 >バカボンパパの「これでいいのだ」も、
 >その奥にある深遠な哲学と一部の評価がありましたが、それと同じです
 >若干ニュアンスは違うけど ほぼ同じ方向性の考えですね

『かもめ食堂』や『禅 ZEN 』の拙日誌に、上杉鷹山の名言として知られる
「為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり」をもじって
「成れば成る 成らねば成らぬ 何事も 成るも成らぬも 事の成行き 〜自然流〜」などと
高校時分に記してたことを綴ってますが、僕の思うところとも方向性が同じように感じました。

 >あるがままの受容、全肯定   全てのことに意味がある
 >何やらスピリチュアルっぽくなってきましたが。

スピリチュアルって、そういうんですか? よく知らないんですが、
何となくイメージ的には、もっと胡散臭い気がしてるんですが(たは)。

 >マルホランド・ドライブです

あぁ、これも奥行きのある作品でしたねー。
拙日誌にも綴ったように、僕は専ら『サンセット大通り』と参照してますが、
単純にそれだけに終わっている作品では毛頭ありませんでした。

 >身も蓋もない(笑) 人生は不条理 
 >花咲き爺さんのように正直者が勝ち、悪が滅ぶなんてのは嘘

明快さとは距離を置いたああいう作品になればなるほど、
その作品に何を観て取るかに、受け手の人生観、人間観が出てきますよね。
鑑賞という行為の楽しさであり、恐さでもあるように思っています。

 >素晴らしきかな人生

フランク・キャプラ監督の作品は、リンチと違って明快ですが、
明快さには明快さの爽快感がありますよね。

 >ここらへんジョゼと独房王のときのように真逆なんだけど矛盾しない
 >まこと、この世は複雑怪奇です

同感です。まぁ分厚いステーキを食するのが好きで、
握り寿司を食べるのも好きってのが矛盾しないのが人間ですから(笑)。

 >そこをポンと「これでいいのだ」「でも、まあ、それもまた良しや」
 >逃げといえば逃げかもしれません
 >でも本当のところは誰も分からないと最近思います
 >そうなってしまうことに意味があるのかも  全くの玉虫色です

そんなことはありません。“逃げ”という言葉自体への語感も
かつてとは随分と違ってきていて、昔ほどにネガティヴなニュアンスのみで
使われることがなくなってきましたものね。
「逃げるが勝ち」という言葉にかつては潜んでいた屈託が
跡形もなくなった状態で言葉どおりに使われる場面も多々あるし、
DVや不登校の現場では、非常に切実な“主体的な行為”として
それこそがまさに必要な課題であることが訴えられているように思います。

 >そのままにしておくのが人生の知恵かも
 >そうでないと秋葉原のテロ男のように自分で自分を追い詰めてしまいます

あんまり深刻になってしまうのは、ちょっと危ういですよね。
軽佻浮薄ばかりでも甲斐ないですが。

 >ちなみに私、、、光浦さんのファン

ほぅ。

 >お笑い芸人だという特殊性はあるものの40過ぎても貰い手はなし
 >仕事とはいえ「抱きたくない女」の女王

そうなんですか? かつて山田邦子が好感度ランキングで上位だった頃なら
そんなふうな語られ方ってしないんでしょうに、巡り合わせですねぇ。

 >それでもあっけらかんとした潔さ そりゃヘコンでないことはないでしょうけど
 >でも彼女にジョゼ性を感じるのです

僕は、ほとんどTVを観ないので、あまりよく承知してません(とほ)。

 >そういえば読書家で見かけによらない知性派ってのもマッチします

へぇ、そうなんですか。

 >不幸な少女と好青年の純愛という、ありきたり路線にならなかったとこが素晴らしい

はいはい。だから、高い評価を得てるんでしょうね。

 >「ゼロの焦点」のこと書こうと思ってましたが長くなったので、また後日

お待ちしております。
  
 >理屈っぽい奴だなんて嫌がらないでくださいね

おたがいさまです(笑)。

 >「ゼロの焦点」の監督はジョゼの人じゃありませんか!

そうです、天童一心監督です。

 >それとジョゼに真理アンヌ出てたのご存知でした?
 >当時は色々とお世話??になった方で 相変わらずお美しいのにびっくりしました 

11PMに出ていた頃ですか?(笑)
『ジョゼと虎と魚たち』に出ていたのは失念してましたが、
最初の雀荘場面での客達の一人だったんですね。そう言えば、そうでしたねぇ。

8192 Reply 補足です、、、長いけど 南無胡坐・有田 2009/12/10 20:31
>大歓迎です
そう言って頂くと感激です   調子に乗ってまた来ました
あ、、でも距離感には気をつけますので。  
言い忘れた補足、及び たまたま「ゼロの焦点」をアップされたので、これも二言、三言言いたくて。
それと前回聞き忘れたことが。   前述したようにヤマさんの見立て、論理的思考には敬服しており出来れば映画感想だけでなく他の文も読みたいなと思ったのです。
なにやら映画感想以外にも読書感想も書かれているみたいだし
ですが残念ながら他の読書感想の行き先を探しましたが分かりませんでした  
あればお教えください

>この掲示板での談義やメール談義を重ねたものを編集採録したものに
ジャンプして行けますので、是非そちらのほうもご覧ください。

もちろん読ませていただきましたよ  教えていただく前にすでに。
そしてジョゼの逃げ かどうかの考察、、これも大変考えさせられました。

で、、私にもそれにインスパイアされて、ある考えが
映画というものは無駄に見える場面でも意味がある  色んな所に伏線がある
これは私なりに、そうだと考えている映画の法則です
それでいくと ジョゼの、もう一つの名台詞 「帰れといわれて帰る奴は帰れ」
これが「でも、まあ、それもまた良しや」と結びつくのです
これは一見、一人言のように見えて 妻ブキ君演じる彼へのメッセージ
つまり 先の「帰れ」の変形  彼に負担のかからぬように逃げたかったらそれもよいという選択権の提示ではと思いました   そしてまた彼は帰ってしまった(笑)
だから此処でも彼は試されたのだと思うのです   ただ前回と違いジョゼのほうで、こだわりはなくなった。
あるいは深読みして あのこだわりのなさは 演技、、、彼を試す上での   とも考えられますが。
その後のジョゼの明るさ、逞しさを考慮すると あの台詞はやはり本音でしょう

それにしても哲学的ですね 「でも、まあ、それもまた良しや」
バカボンパパの「これでいいのだ」も、その奥にある深遠な哲学と一部の評価がありましたが、それと同じです     若干ニュアンスは違うけど ほぼ同じ方向性の考えですね
あるがままの受容、全肯定   全てのことに意味がある  何やらスピリチュアルっぽくなってきましたが。

>そう思えるものを心のうちに抱いておられる方は幸いですよ。
映画をたくさん観ていると、そういうものに出会わせてくれますよね。

そうなんですよ  ジョゼと大脱走の他に、生涯忘れない映画がもう1本あるんです
これには本当に打ちのめされ衝撃を受けました・・・・・    マルホランド・ドライブです
身も蓋もない(笑)   人生は不条理   花咲き爺さんのように正直者が勝ち、悪が滅ぶなんてのは嘘

ただ、もう一つ 素晴らしきかな人生 のように 夢は叶う 人生は素晴らしい 、、もまた一面の真理なんですけどね   ここらへんジョゼと独房王のときのように真逆なんだけど矛盾しない
まこと、この世は複雑怪奇です
独房王のように不撓不屈で頑張って、それでも うまく行くものも居れば そうでない者、、マルホランド・ドライブもいる  それだけだと立つ瀬ないですよね  あの映画のラストのなんといえぬ心苦しさ
だから、、そこをポンと 「これでいいのだ」「でも、まあ、それもまた良しや」
逃げといえば逃げかもしれません   でも本当のところは誰も分からないと最近思います
そうなってしまうことに意味があるのかも  全くの玉虫色です  そのままにしておくのが人生の知恵かも
そうでないと秋葉原のテロ男のように自分で自分を追い詰めてしまいます
ちなみに私、、、光浦さんのファンなんですけど
お笑い芸人だという特殊性はあるものの40過ぎても貰い手はなし  仕事とはいえ「抱きたくない女」の女王
それでもあっけらかんとした潔さ  そりゃヘコンでないことはないでしょうけど
でも彼女にジョゼ性を感じるのです   そういえば読書家で見かけによらない知性派ってのもマッチします
その潔さに  ジョゼに惹かれた彼の気持ちが分かります 
性的魅力とか言うものを通り越したもの   彼もミーハーで最初は見かけオンリーだったのが一皮剥けた
、、、最後逃げましたけどね
だから不幸な少女と好青年の純愛という、ありきたり路線にならなかったとこが素晴らしいですよね

「ゼロの焦点」のこと書こうと思ってましたが長くなったので、また後日  
理屈っぽい奴だなんて嫌がらないでくださいね  「ゼロの焦点」の監督はジョゼの人じゃありませんか!
それとジョゼに真理アンヌ出てたのご存知でした?  当時は色々とお世話??になった方で
相変わらずお美しいのにびっくりしました

8191 Reply 更新のお知らせです。 間借り人ヤマ(管理人) Mail URL 2009/12/09 23:39
今し方、12/10づけの更新を済ませました。
<日誌・・・ /南極料理人/ゼロの焦点/重力ピエロ>
<リンク・・ /英国王 給仕人に乾杯!に推薦テクストを追加リンク>
となっています。

『英国王 給仕人に乾杯!』は、山下さんから拝借しました。
山下さん、どうもありがとうございました。

8190 Reply Re:ジョゼと独房王   間借り人ヤマ(管理人) Mail URL 2009/12/09 23:18
ようこそ、南無胡坐・有田さん、はじめまして。
ずっと以前からご覧くださっていたとは嬉しいです。
そして、それ以上に、こうして「間借り人の部屋」を訪ねてくださったのが
とても嬉しいです。ありがとうございました。

 >一言、二言 意見が述べたくて。
 >ジョゼと虎と魚たち、、、この映画です

大歓迎です。

 >虎を恋人と見に行った肝試し、覚悟の確認というヤマさんの考察
 >、、、、なるほどなぁ〜と思いました。

ありがとうございます。

 >映画って音楽、映像、筋の総合芸術、、一番 受け手に親切なものかと錯覚しますが、
 >小説のほうが遥かに生産者の思いをきっちり、こちらに伝えます。

すべて言葉にしてくれてますものね。もちろん行間はあるのですが。

 >映画は受け手のリテラシー、読解力が低いと見落としたり気づきさえしない
 >また万華鏡のように見る人によってどのような解釈も可能、、、
 >そこがある意味 懐、奥行きの深さでもあるんですが。

全く同感です。
そして、同じ受け手が観る場合でも、条件や状況によって
その気づきの多寡が違ってくるところが映画の油断ならないところです(笑)。
だから、私は日常の場である我家では殆ど観ません。
集中力に自信が持てないんですよね。
同じ時間使って、そういう状態で観るのはもったいないですから。

 >優れた読み手の感想はいろんな示唆を与えてくれます

そうですねー。
拙日誌に推薦テクストとして直リンクに拝借している方々は
みなさん、僕にいろんな示唆を与えてくださってます。

 >一応私の意見、、、大阪弁はええなぁ〜

気取りや気張りのなさがいいですよね。

 >ちなみに私も根っからの関西人、、、
 >でも正直 関西人の暑苦しさ、柄の悪さというものは嫌いです

河内弁とか?(笑)

 >でも昔の浪速千恵子、山本富士子なんかが織り成す
 >柔らかいとぼけた味の関西弁は実にいいんです    

ほんとにねー。
で、昔の喋りは、東京弁にも味わいがありますよね。

 >今回のジョゼ、、、飾りのないぶっきらぼうな大阪弁、、、
 >でも不思議と品の悪さは感じず
 >池脇さんの童顔により中和され一種独特の味わいのある大阪弁が聞けました

されば『大阪物語』もご覧になるといいですよ。
千鶴さん、出てます。

 >是こそ他の媒体では不可能な映画だけの味ですね

トーキー以降の映画では、言葉の響きって重要ですよね。
おっしゃるとおり、それは文字では表現し切れません。

 >そして彼女の「でも、まあ、それもまた良しや」・・・・
 >是は私の今年、、いや生涯の流行語大賞かも
 >高田好胤さんの教え「こだわらない心」ですね

僕もその「こだわりのなさ」って、とても好きです。
世間では専ら“こだわり”を持つことが違いの判る証だと
勘違いをしているようですが、僕は別物だと思ってます。

 >これとは真逆のものの素晴らしさをかつて映画で学びました
 >「大脱走」独房王です

なるほど。マックィーンですね。

 >何度失敗しても諦めず、、周りからあいつは病気だといわれる始末
 >こういうしつこさが新商品の開発などにつながるときもあります。

はい、はい、確かに。

 >ただ逆にこだわりすぎが人生に仇になる場合も
 >極端なのがストーカー

確かに(苦笑)。

 >要は兼ね合いかと

おっしゃるとおりです。

 >ジョゼと独房王  この2人は私の残りの人生の指針です

そう思えるものを心のうちに抱いておられる方は幸いですよ。
映画をたくさん観ていると、そういうものに出会わせてくれますよね。
ご覧になった映画について、拙日誌を読んでいただいて
何かを見出してもらえたら、書き手冥利に尽きます。
その節は、是非またこちらのほうにて教えてくださいね。
このたびは、どうもありがとうございました。

『ジョゼと虎と魚たち』については、拙日誌の下のほうに
「参照テクスト」と赤い文字で表示している部分がありますが、
そこをクリックしていただくと、
この掲示板での談義やメール談義を重ねたものを編集採録したものに
ジャンプして行けますので、是非そちらのほうもご覧ください。

8189 Reply ジョゼと独房王   南無胡坐・有田 2009/12/09 20:46
初めまして、、、なんですけど ずっと以前よりヤマさんのお書きになったものは読ませてもらっており、、頭の良い方だなと感心しておりました。
今回、長年のROM方から初めて脱却します
というのは最近、見た映画で感心したものがあり その映画へのヤマさんの考察も素晴らしかったからです     一言、二言 意見が述べたくて。
ジョゼと虎と魚たち、、、この映画です   5年も前の映画でしたが私は初見です
深海魚とヒッキーのたとえは私でも分かりましたが、虎を恋人と見に行った肝試し、覚悟の確認というヤマさんの考察、、、、なるほどなぁ〜と思いました。
映画って音楽、映像、筋の総合芸術、、一番 受け手に親切なものかと錯覚しますが、小説のほうが遥かに生産者の思いをきっちり、こちらに伝えます。
ところが映画は受け手のリテラシー、読解力が低いと見落としたり気づきさえしない
また万華鏡のように見る人によってどのような解釈も可能、、、そこがある意味 懐、奥行きの深さでもあるんですが。   だから優れた読み手の感想はいろんな示唆を与えてくれます

私は表層的なことでしか感じ取れませんでしたが
一応私の意見、、、大阪弁はええなぁ〜
ちなみに私も根っからの関西人、、、でも正直 関西人の暑苦しさ、柄の悪さというものは嫌いです   でも昔の浪速千恵子、山本富士子なんかが織り成す柔らかいとぼけた味の関西弁は実にいいんです    
今回のジョゼ、、、飾りのないぶっきらぼうな大阪弁、、、でも付し美と品の悪さは感じず
池脇さんの童顔により中和され一種独特の味わいのある大阪弁が聞けました
是こそ他の媒体では不可能な映画だけの味ですね

そして彼女の「でも、まあ、それもまた良しや」・・・・是は私の今年、、いや生涯の流行語大賞かも
高田好胤さんの教え「こだわらない心」ですね
これとは真逆のものの素晴らしさをかつて映画で学びました
「大脱走」独房王です  何度失敗しても諦めず、、周りからあいつは病気だといわれる始末
こういうしつこさが新商品の開発などにつながるときもあります。
ただ逆にこだわりすぎが人生に仇になる場合も  極端なのがストーカー
要は兼ね合いかと   ジョゼと独房王  この2人は私の残りの人生の指針です

8188 Reply Re:こんばんは。 間借り人ヤマ(管理人) Mail URL 2009/12/01 22:00
ようこそ、大日向さん。はじめまして、ですよね?

>「原作小説『朗読者』を読んで」を読ませていただきました。

ありがとうございます。
たぶん検索でおいでくださったのだろうと拝察しますが、
こちらに書き込みいただき、とても嬉しいです。

 >ハンナの「大きくなったわね、坊や」という台詞が印象的で、
 >原作の英訳が知りたいのですが、ご存知ですか?
 >よければ教えてください。

原作はドイツ語だと思うのですが、僕は訳本で読んだので、原文は知りません。
英訳本も出ているとは思いますが、そちらのほうも手にしたことがなく
あいにく、その台詞がどう表現されているかは知りません。
何かの折に大日向さんがお知りになった暁には、僕にも教えてくださいね。
お訪ねくださり、ありがとうございました。

8187 Reply こんばんは。 大日向 Mail 2009/12/01 20:56
「原作小説『朗読者』を読んで」を読ませていただきました。
ハンナの「大きくなったわね、坊や」という台詞が印象的で、原作の英訳が知りたいのですが、ご存知ですか?よければ教えてください。

8186 Reply 更新のお知らせです。 間借り人ヤマ(管理人) Mail URL 2009/11/30 00:09
今し方、11/30づけの更新を済ませました。
<日誌・・・ /ハゲタカ/風が強く吹いている>
<雑文・・・ /真山仁 著『ハゲタカ』感想文/酒井順子 著『儒教と負け犬』感想文>
<リンク・・ /3時10分、決断のとき/クローンは故郷をめざす に推薦テクストを追加リンク>
となっています。

『3時10分、決断のとき』はケイケイさんから、
『クローンは故郷をめざす』は山下さんから拝借しました。
お二方とも、どうもありがとうございました。

8185 Reply 更新のお知らせです。 間借り人ヤマ(管理人) Mail URL 2009/11/20 23:04
今し方、11/20づけの更新を済ませました。
<リンク・・ /シークレット・サンシャインに推薦テクストを追加リンク>
となっています。

なにかと慌しく日誌を綴る間がなくて今回はリンクのみです。
『シークレット・サンシャイン』は、ムーマさんから拝借しました。
ムーマさん、どうもありがとうございました。

8184 Reply Re:「魂萌え!」は違うなー 間借り人ヤマ(管理人) Mail URL 2009/11/13 07:34
ようこそ、TAOさん。

 >>>異性に媚びることがデフォルトになっている
 >>そこまでおっしゃいますか(笑)。
 >ふふふ。これについては、長年の観察で多くのサンプルを
 >検証してきていますからねえ。

女性同士の間では、最も嫌われるタイプですってね、それ(笑)。

 >男はもう夫でこりごりというタイプは、
 >娘や同性の友人にべったりなんですよ。

コリゴリまでいかなくても、その傾向アリですな。
めんどくさいくせに安心感が得られやすいんでしょう。
他方、恋愛とまでいかなくても、ちょっとした緊張感
スリリング&サスペンスの方向のものを求めるなら、
やっぱ異性ということのような気がします。

 >向田邦子が大好きな監督のことですから、
 >たぶんかづ子の造形には「阿修羅のごとく」の母親の影響もあると思います。

ほほぅ、西川監督は向田ファンなんですか。
いろんなことを知りながら丸呑みして
素知らぬ顔で邪気のなさをまとう喰えないキャラでしたね、確かに(笑)。

 > とくに伊野は、小動物的な勘が発達してそうですから。

かづ子にかかれば、ペットにされちゃう素質の勘に、
彼は恵まれてましたか(笑)。

 >秘密を抱えていた伊野にとって、
 >同じく大きな秘密を抱えるかづ子と秘密を共有する親密感があったからこそだと思います。

患者の秘密を共有することって、でも、医者の場合むしろ日常茶飯のことで
逆に“職業的特別”のほうに属することだと思うのですが。

 >>『魂萌え!』でもそうだったのでしょうか(苦笑)。
 >それもあったでしょうね。
 >日本のほとんどの妻は夫より子供ですから。

確かに(苦笑)。

 >春川ますみになら、包まれてみたい気がします(笑)

肝っ玉母さんにストリップ小屋のステージは似合いませんが、
ますみさんにはOKな雰囲気があるのが違いですかな?(笑)

 >「魂萌え!」の隆之も、男として頼られるうれしさはあったでしょうねえ。

ここんとこが一番だったような気がします。
全く描かれていないから、想像でしかありませんが。

 >でも、すっぴんでひっつめ髪の所帯じみた妻ではなく、
 >垢抜けて身綺麗にした女の家でくつろぎたいわけでしょう?
 >それって、愛人との密会というイメージからは遠いですが、
 >妾宅に通う旦那そのものじゃないですか?

馴染みのバーなり小料理屋に通うのもそれなんですかね。
別にそこでは、男として頼りにされているとかってことはないですよね。

 >「シュガー・ベイビー」を例に引いて私が言いたかったのは、
 >母子プレイというか、胎内回帰的な心地好さなので、
 >そういう意味ではちがうと思いますねえ。
 >男の甲斐性、って感じです。

隆之と昭子の間には
もう一つの家庭としての“夫婦プレイ”は想像できても
“母子プレイ”のイメージはありませんでしたね。
肝がそこんとこなら、確かに違いますね。

8183 Reply 書き忘れ TAO 2009/11/12 18:42
京塚昌子ではなく春川ますみになら、
包まれてみたい気がします(笑)

8182 Reply 「魂萌え!」は違うなー TAO 2009/11/12 18:36
ヤマさん、こんにちは。

>  >必ずしも恋愛感情ではなくても、異性に媚びることがデフォルトになっているんです。
>
> そこまでおっしゃいますか(笑)。

ふふふ。これについては、長年の観察で多くのサンプルを
検証してきていますからねえ。
逆に、男はもう夫でこりごりというタイプ(日本人はこちらが多いです)は、
娘や同性の友人にべったりなんですよ。

> でもまぁ、彼女にそういうキャラを受け止める方は、そう多くはない気がしますが、
> 意表を突かれながらも、言われてみると頷けるところがありますね。

でしょう?(笑)
向田邦子が大好きな監督のことですから、
たぶんかづ子の造形には「阿修羅のごとく」の母親の影響もあると思います。

> 僕は、伊野がくつろいだ顔を見せることで、
> かづ子の警戒心をほぐしているように受け止めましたが、

なるほどそれもありそうですね。
そのあたりはどちらが先とも言えず、
魚心あれば水心じゃないでしょうか。
とくに伊野は、小動物的な勘が発達してそうですから。

> ほぐそうとした心を解き始めてくれると、確かに嬉しく、
> その場にいることに心地よさを覚えるだろうとは思うのですが、
> その度にすぐさま“個人的特別”に行っちゃうと少々身が持たない気も(笑)。

ええ、ですから、この展開は私にとっても意外でした。
個人的特別だけではあそこまで加速しないでしょう。
秘密を抱えていた伊野にとって、
同じく大きな秘密を抱えるかづ子と秘密を共有する親密感があったからこそだと思います。

>  >妻はたしか子育てで忙しく甘やかしてもらえないので。
>
> なるほど。
> 『魂萌え!』でもそうだったのでしょうか(苦笑)。

それもあったでしょうね。
日本のほとんどの妻は夫より子供ですから。

>  >ふくふくしたその身体と柔らかい雰囲気がとっても魅力的でしたから、
>  >こりゃ男はたまらんだろうなと思った記憶があります。
>
> 京塚昌子さんにもそのようなところをお感じになってやしませんか?(笑)

京塚昌子にからだを洗ってもらうのはちょっとイヤかも(笑)

> で、僕はといえば、やはり伊野の場合と隆之の場合では、そこにニセとはいえ、
> 医師という職として関わるということでの大きな違いがあるように思いますね。

はい、上にも述べましたように、
伊野の場合に医師としての立場が大きく関係したであろうことは同感です。

「魂萌え!」の隆之も、男として頼られるうれしさはあったでしょうねえ。
でも、すっぴんでひっつめ髪の所帯じみた妻ではなく、
垢抜けて身綺麗にした女の家でくつろぎたいわけでしょう?
それって、愛人との密会というイメージからは遠いですが、
妾宅に通う旦那そのものじゃないですか?
「シュガー・ベイビー」を例に引いて私が言いたかったのは、
母子プレイというか、胎内回帰的な心地好さなので、
そういう意味ではちがうと思いますねえ。
男の甲斐性、って感じです。



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